霧島山麓の麓に広がる肥沃な盆地

(祝)ブランド米認定・食味ランキング特A認定「えびの産ヒノヒカリ

えびの盆地に黄金の絨毯が広がる。たわわに実った稲穂が幾重にも重なり合い、陽の光に照らされ、輝きを放つ。「えびのの米はおいしい」と、よく言われるが、まさに日本一だと、宮崎に初めて訪れたときにたいへん感動したのを思い出す。そして、驚きもした。冷えても乾燥せず、とにかく美味しいからである。新潟や東北の米がいいという、関東人特有の勝手な固定観念があった私は、完全にノックアウトされたといってよい。そのうえ霧島連山に囲まれた見事な田園風景。まさに移住のきっかけとなった。

「みちくさ」を発行し、17年目を迎えた現在でも、はじめの印象は変わることはない。むしろ九州全域から四国と取材にまわってみるほどに、えびの米の価値が深まる。やはりここのお米は違うと感じるのだ。なぜだろう。

きっと霧島山麓の清冽な水と、標高およそ300mに広がるえびの盆地特有の寒暖差、そして、これは私見であるが、川内川が米に適した良質の土壌を作ってきたのではないだろうか。そして、何よりも豊かな、時には激しい自然に寄り添いながら暮らす人々の思いが、田の神さぁを信じるといった敬虔さを育み、おいしい米を生み出しているのだろう。

田代の田の神さあ(えびの市)吉田地区の収穫風景(えびの市)

さて、この感動してやまない「えびの産ヒノヒカリ」は、今年2月、平成27年度の米の食味ランキング(日本穀物検定協会主催)で、最上級の「特A」に輝いた。「特A」認定は、宮崎県初の快挙であり、えびの市産ヒノヒカリのおいしさが客観的に証明された瞬間でもあり、ニュースを聞き、嬉しかった。 さらに先日(10月7日)には、宮崎県とJA宮崎経済連で作る「みやざきブランド推進本部」からJAえびの市に「宮崎特選米」産地認定証が交付された。宮崎県内の96産地・39商品の同ブランドの中で、米として初めて「みやざきブランド」に認定されたのである。

稲穂

受賞の喜びを聞くため、JAえびの市の販売課長の橋爪義和さんを取材させていただいた。突然の来訪にもかかわらず柔和の笑顔と温かな対応であったが、話の端々に情熱が感じられ、夢に向かい、実践を追い求める人特有の口調があった。

「特A米と宮崎特選米に認定されたということを未来にどうつなげていこうと思いますか?」という私の質問に、間髪を入れず、即答していただいた。「今回の評価を受け、まずは地元の人に価値を知っていただき、地域の人たちに自信を持って欲しいですね。そして、この波紋が近隣市町村に、宮崎県全体から九州全体に、さらには世界へという風に広がり、地域の誇りにつながればと思っています。大きな池に小石を投じると、小さな波紋がやがて池全面に広がっていくでしょう。あれです」照れながらも、しっかりとした口調で、受賞の抱負を述べられた。

そして、橋爪さんは続けられた。たくさんの小石を投げ続けるために、特A評価を何年も続けていくことができるように、みなで頑張っていきたいと締めくくられた。ほんとうに心あたたまる会見であった。

西日本を中心に栽培が行なわれているヒノヒカリは宮崎県総合農業試験場で育成され、1989年に、その飯米が光り輝く様から「ヒノヒカリ」として命名・登録されたことに起源を持つ。宮崎県はまさに本家本元であり、「特A」取得は悲願達成であった。JAえびの市稲作振興会では、約1000人あまりの米農家が、約1200ヘクタールおよび作付けしているが、おいしい米づくりに専念するために、2013年4月に「えびの市産特A産地化プロジェクト会議」を発足させるなど活動を行い。ようやく全国の産地と戦うためのスタートラインに立った。えびの市は、JAと共催で11年間、米の食味コンクールを開催するなど、特A米づくりを支援してきた。特A認定は、全国的な産地になるためのスタートライン。土壌診断から肥料設計、植え付け時の苗の間隔、収穫のタイミング、精米の方法まで、徹底的にデータを客観的に解析し、数字の向上に努めることが功を奏したということであった。

「鬼島津」。天下分け目の合戦「関が原の戦い」において「島津の退き口」で知られる島津義弘公の異名であるが、義弘公を筆頭に、島津氏は戦国時代の九州を転戦する中で、郷に入り、半士半農として野を耕し、農業に勤しんできた。義弘公の生涯の中で、26年という最も長い時間を過ごした飯野の地(現えびの市)。ここでも豊かでおいしいお米が力の源となっていたに違いない。

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長