「日曜日は山で過ごそう!」自己紹介がすみ、さあ、山学校が始まります。

竹ぼうきづくりに学ぶ、山学校。

「このあたりには、たくさん炭焼き小屋があったらしいよ」昭和半ばの話である。そんな昔ん話を聞きながらの手作業は、特に楽しいんだなあ。時折、わたりくる心地よい風に、かぐわしい春の訪れを感じながら、細竹を取り分けては、節を組み合わせていく。竹林からサラサラとこぼれてくる、柔らかな木洩れ日。春の米良の昼下がり。

「竹ぼうき」作成風景「竹ぼうき」作成風景

今日は竹ぼうき名人の川口清文翁を教授に迎えての、にしめらツーリズム協会主催(黒木敬介会長)、カリコボーズ学園の山学校。皆、童心に戻り、肥後の守や剪定鋏で竹を選んでは、材料を調えていく。以前から「木六、竹八(きろくたけはち)」という言葉は聞いており、木は旧暦六月に、竹は旧暦八月に伐採した方がよいと聞かされてはいたが、川口翁の口から「竹を乾燥して使う時はよ、必ず旧暦の十月、それもヤミの日に切らんといかんよ。月のみちかけが何をやるにも大切やかいね。乾燥したときに葉が落ちやすいかいよ。間違えた日に伐るとな、虫がわきよるからね」と、説明を受ける。ヤミをイメージしてみる。闇とは新月のこと。70代後半の川口さんよりもずっと若い濱砂文男さんが「そういえば鮎漁も闇がいいと、昔から父さんが言いよったなぁ」などと、感慨深げに相槌を打つ。人は自然に寄り添って生きている。

「いい箒になったぞ」と、濱砂文男さん「竹ぼうき」作成風景シャイな笑顔の匠、川口清文さん

いつも不思議に思うのだが、人は満ち潮のときに産まれ、引き潮のときに亡くなることが多い。潮の満ち干きで植物も動物も生きている。苗を植える時期も追肥の時期も旧暦で決めると聞く。神社を中心とした年中行事と旧暦を織り交ぜたのが、歳時記。西米良村では一年中で一番寒いといわれる大寒の水を必ず使って、家庭用のドブロクや薬草酒などを「寒仕込み」する。味噌や醤油も同じで、寒気を利用して仕込んだ食べ物は長持ちすると教えてもらった。ものによって仕込む時季も刈り取る時季も決まっており、日本人には必需品であった月読みの暦。西米良村の商店街にある我が本社一階の「セレクトショップMOMO」でも旧暦カレンダーや手帳を扱うことにした。

人や自然に寄り添って生きる。

さて、今日の山学校で使っている細竹は20数年前に村に移住した山師の田仲さん(山の宝部会長)が用意して下さった。たしか夏の会合で、竹の成長が止まり、水が上がってこなくなった秋の初めが「木六竹八」といって伐り易いから良いと言っておられたのに、9月になり、川口翁と打ち合わせた後、話が変わったのを思い出した。確か竹を利用するときは、竹を切った後、すぐに寒さらしにすれば引き締まった良い竹になるから竹細工に向いているので、旧暦十月である11月に伐採した方が良いということになったのを思い出した。

かつて山仕事や農作業にも食物の保存にもザル(箕)やショケ(笊)などの竹細工は重宝され、暮らしの中の宝であり、無くてはならない必需品であった。家の周りには、様々な種類の竹に、実のなる木々が植えられていた。人と自然は、常に一緒。人は月の満ち欠けに合わせ生きてきた。川口翁からは暮らしの中の、たくさんのことを教えていただいた。そんな感動の一日。

辺りには春の気配が。和紙の原料ミツマタの花がほころび始めていました。

学び場からの帰り道、竹林への上がり口のところで揺れていた半咲きの菜の花に、誰かが山から持ち込んだと思われる、和紙の原料ミツマタのクリームがかった白の小花たちに、春が宿っていた。遠くに見える米良ん山々の木々たちは、今にも芽吹き出しそうな勢いで、生命の力をため込んでいる。そして、よく見ると、緑の中のあちらこちらで、山桜が葉をつけてもいないが、枯れても見えない風情で、丸裸の小枝たちを精一杯、伸ばしている。その先っぽには、きっとたくさんの蕾がしっかりと息づいていることが、遠目にもわかるから、不思議だ。

生命の勢いって、目に見えるのである。そんな春先の日曜日。お陽様があたると、いっせいに輝きを増す、米良ん山々が眩しい、そんな春の昼下がり。毎週、日曜日は、山で過ごしたいと、心から願った日。

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長