未来へ、次世代につなぐ。未来へ、次世代につなぐ。

この美しい地球を、日本の大地と心と共に、ふるさとへの愛をこめて、次世代につなぐ。

「地域に生きる」とは、「生」が過去から未来へと連続してつながり、地域コミュニティ自体をつくっていることである。時の流れ軸と地域という空間軸がしっかりと結び合い、どっしりとした「生の舞台」ができている。時の流れが途絶えることなく、続いていることで、誰しも田舎に来ると妙に落ち着くのだ。都会では見失いがちな安定感に、すっぽりと包まれ、心から癒される。そんな感覚を知ることができたのは、病気療養でこの地に移り住んでいるからである。装いを少しずつ変えながら移りゆく日本の四季。時の流れに寄り添い生きてきた奥九州の人々。春神楽で、祈りを捧げ、冬神楽で豊穣を祝い、感謝の心を伝える。

自然の摂理に合わせながらも、先人の背中をそっと見つめながら、迷うことなく、無心に生きてきた。生きることで地域の暮らしや文化、生き方などを次世代へと継いでいく。我が社が本社を置く九州の脊梁山地に位置する西米良村は、村土の96%が森林の、宮崎県で最も人口の少ない村であるが、とても幸せ度の高い村。50年前の出来事、100年前に生きていたお爺さんの話がつい昨日のように語られる村で、村人たちは「お殿様に感謝しないと」と真顔で版籍奉還の頃の話が語られる、そのような村である。

来年は、明治維新から150年を迎える。日本の暮らしがガラリと変化した時代から、すでに1世紀半が経とうとしている。

森と人の暮らし。

西米良の森は今でも豊かであるが、それ以上に、以前は尾股地区などには、深い原生林が残っており、林立する大木のため、日も差さぬほど神秘的であったという。

江戸中期から明治維新にいたる約200年間、菊池氏が居城とした小河地区

西米良村の森は、版籍奉還のときに名君・菊池則忠公から村民に均等に配分された。宮崎県は全国でも国有林の占める割合が多く55%もあるが、西米良村の国有林は約4平方キロメートルと、現在でもごくわずかである。個人所有になった森は、時代を経るうちに人の手にわたっているものも多く、昭和63年当時の調査では、村外所有者の所有面積は県下で一番多かった。まるで戦国期を思わせるように、村外山林所有者の活動が盛んで、森林業者が次から次へと台頭した時代もあり、しのぎを削っていたと、はるか昔のことのように村の翁が話してくださったのを覚えている。戦前、昭和12年から椎葉を抜き、西米良は県下最大の木炭出荷量を記録し、村所地区だけでも100を越える白炭窯があったという。戦後も炭焼きは盛んであった。現在は、尾股地区は再び、無人の山となり、国道265号を須木方面に走ると、学校跡が見える。古老と語ると、当時の話に花が咲いた時代もあったという。

森はいつも人とともにある。時代は移り変わり、森林と人の暮らしの密接な関係は、人々のなかで、やっと価値を取り戻してきた。経済ばかりが優先される社会から、「生きる」ということが何なのか、人の暮らしの豊かさ、幸せ度を追求することこそが大切だと、産業革命以降、失われたものは大きかったかもしれないが、今、時代は気がつき始めている。まだ、間に合う。

今年度、「みちくさ」を主宰させていただいている弊社、(株)アイロードは、宮崎県が推進する「中山間盛り上げ隊」事務局を仰せつかった。担当エリアは宮崎県えびの市、小林市、高原町、西都市、都農町、木城町、そして本社がある西米良村である。地域を次世代につなぐため、一緒に頑張ってくださるボランティアの方を募集している。県外の個人、団体、会社もぜひ参加していただき、一緒に魅力ある地域の田舎を守る活動をして欲しい。どうかよろしくお願いします。

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長