思い出の旅のアルバム

私が生まれたのは、福岡県築城市にある航空自衛隊の基地だった。とはいえ、それこそ幼すぎて何の記憶もない。当時、教官をしていた飛行機乗りの父と結婚したばかりの母との間の長女として生を受けた。基地内の官舎は、馬小屋を改良した建物で、ハモニカのように細長かったので、ハモニカアパートと呼ばれていた。写真が残っている。自転車の荷台に父の帽子をかぶって父と一緒に眩しそうな顔をしている。後ろには官舎が建っていた。

その写真の横にもう一枚。杖立温泉の古い旅館から母と一緒に窓の外を見ている写真。先日、どの宿だったのかと、写真を持って探しに行ったが、もうそこには無かった。写真には「栄子もうすぐ2歳おしゃまな頃」と書かれており、無邪気な目線をカメラを手にしている父に向けていた。その隣には、大阪から遊びにきた祖父たちの写真があった。どうやら佐伯周辺の旅館の一葉のようだ。禿げ頭の上にベレー帽をかぶった祖父はステッキを持っていた。眼鏡越しの笑顔が懐かしい。

杖立温泉(現在の風景)

旅館の部屋の中の椅子に腰掛けている写真もある。海老好きの祖父がとにかく沢山、旨い旨いと食べたと、母から物心が付いた頃、教えてもらった。旅館の縁廊窓からの海は、祖父の背後でうっすらとした白黒の濃淡で落ち着きながら光を投げかけていた。

アルバムをめくっていくと、熊本城、天草、島原、長崎と写真が続く。どうやら父が自衛隊を辞めることを決意した後、家族3人で出かけた九州旅行。父の字で「最後の九州旅行」と書いてあった。どの航路なのか?幼い私は、髪を女の子らしくリボンで数箇所、結ばれ、ちょっとませた顔になって、母に手をつないで貰い、こちらを見ていた「栄子2歳9ヶ月、船上にて」と書かれていた。

東京から私が九州に移住することになったのも、3歳近くまで暮らした九州の香りが幼き私の脳裏に刷り込まれていたからかもしれない。奥深い九州の暮らし風景は、私の心を落ち着かせ、しっとりとさせる。人間の体のほとんどが水から出来ていると聞くが、九州の水は、私のDNAを活性化させる。(ちなみに四国でもテンションが上がる。というのも母方の両親の出身地は四国で、そのDNAも流れている!)

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長