アマテラスの国々を旅するアマテラスの国々を旅する

子どものころ、大好きな絵本があった。いつも持ち歩いてぼろぼろになっていた絵本には、燦燦と輝く太陽のもと、広々とした野原が広がり、大きな木が一本、豊かな枝を広げ、静かに立っていた。よくみると、その木陰には牛が数頭、気持ちよさそうに寝そべっている。ページをめくると、視点が牛に近づいていき、その満足そうな様子が描かれている。さらにめくると、牛の視線になる。木漏れ日が葉々の間から差し込み、牛たちは満足げに上を見上げているようであった。光と影がはっきりとした、この挿絵は、幼ない私の心にしっかりと刻まれ、後にはじめて「牧歌的」という言葉に出会ったとき、思わず脳裏に絵本の挿絵が浮かんできたのを覚えている。

その後、12歳でイタリアに住むこととなり、家族で旅をすることが多くなった。欧州を旅すると、いろいろなところに牧歌的な暮らしの風景が広がり、キラキラとした太陽と影が織り成す景色は、いつしか絵本の挿絵とあいまり、私の記憶の中に織り込まれていった。まぶしい太陽のぬくもり、日陰に入ると草深い香りと通り抜ける風が気持ちよかった。そんな内省的な思いをよそに、現実的な父が、かわいい牛を見て、美味しそうだななどと不謹慎なことを口にし、大いに家族で笑った思い出と一緒に、楽しかった思春期の1ページになった。

このように子どもの頃に刻まれた鮮明な甘い記憶は、今から16年前、宮崎県の西諸県郡でもう一度、スイッチが入った。小林ICをおり、農道「みやまきりしまロード」を通り、高原町に入る。そこにあるのが、宮崎県畜産試験場で、付近の牧場には、まさに絵本のような風景があった。ヨーロッパに似ていると、直感的に思った。ことばは、「きやんせ」「じゃっどん」など語尾が鼻に抜ける「せ」や小さく余韻を残すだけの「ん」など、まさにフランス語のようだと思い、そのことをもう十数年、講演会などで語り続けてきた。西諸のご婦人たちの前でも、小林秀峰高校の生徒たちの前でも、こう話したら、必ず皆様が驚き、笑い、たいへん面白がっていただいたので、いい気になって話していたら、今ではVTRになり、フランス語と小林は切っても切り離せないものとなっていた。同じように感じていた人もいたんだと思う。

日本(ニッポン)のひなた宮崎県。私はこのキャッチコピーが大好きである。「ひなた」は和語であり、あたたかなイメージがある。冬の日のあったかな陽だまりに、秋の晴天を吹きわたる風と光のきらめき、特に黄金の稲穂は、フランスの印象派が描く暮らし画のようである。そして、春。照葉樹林を輝かせる柔らかな光や雨上がりに降り注ぐ太陽。そして、夏は木陰を連想する。

観光は、ありのままの暮らしに光を当てるということ。そして、光の影には陰ができる。陰は癒しであり、実はこの癒しこそが観光の大切な要素なのだ。光を見る観光ではなく、陰を感じる旅を、人は希求している。陰は暮らしの中に落としこまれ、時を軸にした立体的な美しさが、地域の暮らしを織り成している。時は「光陰」と呼ばれ、故事に「光陰矢のごとし」とも使われるように、光と陰が時を作っていく。

鹿屋には「太陽の国」という福祉と農業、観光の接点で活動するグループがあった。創始の郷原さんは隼人族を名乗る、たいへんユニークで素晴らしい発想の方であった。ああ、そうである、南九州はアマテラスの国々でなりたっているのである。世界農業遺産になった高千穂に女性たちが作った新しい法人が登場した。その名は「アマテラスの娘たち」。素敵なネーミングだ。

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長