師走祭りで御神体を担がせていただく有田副編集長地域を興す。(この人その4)

極寒である。小雪が寒風にピュ―、ピュ―と吹雪くなか、もう小半時以上、待っていた。もうすぐ神社の氏子衆や厄落とし衆が禊ぎ(みそぎ)をするためにやってくる。 美郷町の神門地区の田中八重子さん家からほど近くにある田んぼの端っこのフェンスに、だんだん強くなる吹雪に負けじと、ぶらさがるように立ちつくしているのは、みちくさ倶楽部の旅人たちや留学生さんたち。

小丸川(おまるがわ)も私たちの表情も、寒さで凍ってしまったかのようになった頃、やっとご神幸の禊衆が現れた。吹雪いて白く煙って見える景色の中、ふんどしか半パン姿の「ますらお」たちが崖を降りてきた。とにかく風が強く、痛い。本当に水に入れるのだろうか?大丈夫なのか?いつもこの場所からカメラを構えてきた常連と思しきカメラマンが「初めての寒さだ」と言っておられたほどだ。

歓声が上がった。はじめてご神幸に加わっている副編集長のカメラマン有田がふんどし一丁、足袋も履かずに現れたからだ。

氏子衆や厄落とし衆の禊ぎ風景

いつも一緒に旅をしている仲間たちは皆、いかに有田がよく食べるかは知っているが、このご神事のような古き佳きニッポンリズムが、実はその三度の飯よりも大好きなことは知らないかもしれない。

皆が息を呑んで見守っている。「かわいそう」という声もあった。会社に無理やり仕事でやらされていると思っているかもしれない。「実際は止めてもきかなかったんだ」などと社長である私は、自問自答している。もう5回以上、彼と旅をしている古参の会員のOさんが大笑いをされた。「寒いのに本当に嬉しそうだわねえ、有田くん。彼は神社とか歴史とか、古いものが好きだから、至福の気分というとこかね」と愉快そうだった。氏子衆が凍りそうな川に次々と入っていく。ズバズバと水に入る人、なかなか入れない慎重な人、ゆっくり落ち着いて川に入っていく人、有田は?あらまあ、頭から飛び込み、平泳ぎで川を渡りはじめた。皆が大笑いする。緊張がほどける。ああ皆、心配してくれていたんだ。

有田が私どもの会社に入社したのは約10年前。「みちくさ」を日向市の「天領うどん」さんで読み、日向市駅のエピソードを気に入り、入社したいとアプローチをかけてきた。当時は株式会社ではなく、NPO法人として立ち上げようか迷っている頃であった。電話で話し、すぐに好きな題で作文を送るようにお願いしたら、すぐに「日向の祭りと地域おこし」について数枚綴り、メールしてきた。内容を読み、地域愛と神社の祭りに傾倒するこの方は当時40歳代であった私よりもずいぶんと歳が上だろうと思い込んだ。数日後、駅から30分歩いてきたと、首からカメラとタオルをぶらさげ、汗だくのハンチング帽姿で現れた若い男の子を見て、正直、面食らった。60代の男性ではなかった。

その後、無事、有田は入社し、その瞬間、NPO法人は止めようと決心した。やはり若い人が地域を興すと頑張っているんだから、ボランティアではできない。地域を興す企業にしないといけないと決心したのである。当時、運転もほとんどしていなかった有田は、今ではどんな道でも走る「みちくさドライバー」に。首に巻いていたタオルはおしゃれなデザイナーブランドから我が社がある西米良村ゆた~と温泉の手ぬぐいに。おなかも出てきたが、今でもまだまだ初心を捨てていない。地域振興誌「みちくさ」副編集長として、地域の奥の奥に入り、その魅力を発信していこうという気概に満ち満ちている。

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長