みちくさ通巻100号「ありがとうございます」

100号前を振り返って

いよいよ今月号で、新生「みちくさ」が創刊され、通巻100号を迎える。これまで様々な形で応援して下さった方々に心から深謝する。

ふり返ると、2000年に創刊された元祖「みちくさ」が、スカイネットアジア航空(現・ソラシドエア)の初フライト機内に搭載する際、誌名を変更し、吉田兼好翁にあやかり「徒然草」になった。2002年のことである。2005年に誌面を再び「みちくさ」に戻すまで、通算56号を世に出すことができた。これらすべてを通巻すると、本誌は、156号目ということになる。

もともと一生背負わなければならないと医師に宣告された「酸素ボンベ」と共に、この地に降り立った私であった。明日の命の保証もないまま、転地療養で南九州に暮らすようになった私は、病に冒され、希望を失いそうになっていた。その私に、まるで養老の滝の伝説のように次から次へと、なみなみと湧き出でる元気を与えてくれた、この奥ニッポンの暮らし。 どれだけ魅せられたことか。

高千穂町岩戸地区の水田

私が当時、唯一可能だったことが筆を執ることであり、パソコンを打つことであった。体力がなくても、自分の感動を伝えることはできる。打っては休み、休んでは書いてきた私を、多くの人たちが助け、支えて下さった。

当初から「みちくさ」の目的は、この地域の魅力を、つまり奥ニッポンに残る日本人の素晴らしさを、ひとりでも多くの人々に、日本人にも外国人にも伝えていくことであった。そのためには、まずは地域の人たちに気づきを促すことであり、その魅力を次世代にまで残していきたいという願いがあった。地域の人たちは常に謙虚すぎるように、私の目に写った。地域の暮らしには、溢れるほどの魅力があるということを認めることもなく、東京や大阪など都市部を真似ていることも多いと思った。また、気後れを感じながら暮らしている人も多くおられるように見受けられた。自信がない、謙虚な良い人たちだからである。

東京などの大手企業に勤めている息子が何よりも自慢であり、誰よりも成功しているという会話が、都市部から戻ってきたばかりの息子たちの前で交わされているのを聞きながら、Uターンした息子さんがどのような心境であるのかが心配で、そのような状況がひどく残念に思えた。今では、Uターンされる方を感じよく受けいれる地域の環境も整い、そのようなことが少なくなったが、まだ皆無とはいえない。当時、私はそうではないと、思い切り叫びたかった。東京よりも大企業よりも素晴らしいものがここにある。

地方都市にこそ都市の原点があり、田園地帯や山間部、浦々の暮らしに、地域の真の魅力があるのだ。そして、この大切な価値観が、今や忘れ去られようとしているという危惧の念が、心にじわじわと広がっていったのが、当時の私であった。

延岡市北浦町「地下の茶畑」

奥ニッポンの魅力を次世代へ繋ぐ

奥ニッポンには、世界に誇る魅力がある。ここでの暮らしには、世界が求める豊かさがある。「みちくさ」の原点は、その豊かさの追求と発信にあるのである。

5年がたち、すっかり元気になった私は、東京に戻るか、南九州に残るのかの選択をすることになった。多くの方々に相談し、結局はこの地に残り、起業することを決意した。地域への感謝の念を表すためには、地域おこしの集団を作ろう。それも若い方たちがボランティアではなく、企業人として自立して行う地域おこしでなければならないと考えた。 アイロードをNPO法人にするかどうかを迷い、企業にすることを選んだ。心情としては24時間365日、打ち込むのだから、それを生業であるべきだと考えたからである。

それまでも感謝の気持ちで発行してきた「みちくさ」ではあったが、株式会社化してからは、企業方針として地域に尽くしながらも、補助金ではなく自立した経済活動として、地域に貢献したいと思った。民間企業や店、農林水産業者と組むことで、持続可能な活動を、次世代に地域を繋ぐために行う。それも愛でもって繋ぐ「愛の道」を目指す「アイロード」でありたい。それがアイロードの企業フィロソフィーである。

波静かな蒲江浦の入江

私自身は完全に無給無休のボランティアであり、現在もそのことは変わらないが、スタッフのことは誰よりも幸せにしたい。仕事を通し、本当の豊かさを知り、手にして欲しい。生きる意味を感じて欲しい。 当時、地域おこしをキーワードにすでに集まってきていた若いスタッフたち。20代、30代あるいは40の声を聞いたばかりの若者たちが地域おこしで「飯を食う」こと以上の豊かな暮らしができなければならないと考えている。持続するためにである。

雇用は、一番の地域貢献であり、それに貢献している企業や店や農林業者は素晴らしいという意識もあった。地域への恩返しは、しっかりとした企業に成長させ、社員が物心両面から豊かになり、会社は税金もしっかりと納めながら、大きくなること。そして、何よりも地域づくりに命をかける人たちを育てていくことが会社の設立目的でもある。

沈みゆく夕日が美しい日向市東郷町

このように心機一転。2006年から事務所を宮崎市大工町に移転後、再度、誌名を新生「みちくさ」に復活させ、新しい社名の「アイロード」(愛の道)と共に、今号で100号を迎えることができた。10年前には株式会社化した。これも応援して下さった方々のおかげであり、一緒に活動して貰ってきた同志たち、そして、彼らを可愛がり育て、様々な形で、慈愛に満ちた声援を送って下さった方々のおかげである。

ありがとうございます。
「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長