吉都線の思い出
吉都線マップ

あれは17年前のこと、吉都線に一人揺られながら都城駅から鹿児島県の吉松駅を往復した。雄大な霧島山系のふもとを一車両の列車がコトコトと走る。ほとんどが地域の人という小さな車両。都城も山田町あたりまで来ると、車窓から見える風景はいっそう鄙(ひな)びたものになり、家々の軒下をすり抜けたかと思えば、雄大な田園風景をゆったりと走っていく。

時折、病院通いと見られるおばさんが乗り降りする。皆、目が合うとにっこりとされ、次の瞬間、話しかけられる。当時は半分も分からなかった薩摩弁で語って来られるが、なぜか嬉しくてたまらなかった。諸県弁はまさにフランス語のようだ。子どもの頃、イタリアで育ったので、そう感じた。英語の方が理解できるとも思った。そんな話を小林の秀峰高校の黒木先生や生徒さんたちにしたら、皆、大笑いした。諸県弁がフランス語だなんて!?って・・・。しかし、昨年度からフランス語に聞こえる諸県弁のおもしろ映像を作って売り出したら、全国でも有名になった。

さてさて、話の道草はやめにして、列車に話を戻そうと思う。当時、酸素ボンベを背負い、東京から療養のためにやってきたばかりの私にとって一番嬉しかったのは、車両に乗ってくるおばちゃんたちの目が生き生きしていることであった。東京の列車の中は、とにかく暗く、憂鬱である。朝は不機嫌そう。夜は乗客は死んだ魚のような目をしているか、しきりにスマートフォンを覗き、自分の世界に入りニヤニヤしたりしている。西諸地域のおばちゃんたちは彼らとはまったく違う世界から降り立ってきた人のようである。しっかりと大地に足がついている。

高原駅では生徒たちが数人乗ってきた。大きいのに(!)挨拶をしっかりする。きっと高原高校の生徒たちだろう。前年に取材で書いた高原駅のトイレの掃除の話。駅舎に観光協会が移るきっかけにもなった生徒たちの清掃美談。高原高校は今では小林の秀峰高校に統合されている。今年度、全国和牛能力共進会に出品する栄誉のうえに、栄えある受賞を勝ち取った高校生たちは彼らの後輩にあたる。だいたい南九州は畜産圏であり、よく考えるとこれからの5年を合わせ15年間、全国の覇者として日本一という座につくのだから、本当に誇らしい。特に曽於市を含む都城盆地や大隅、霧島周辺の和牛生産体制は素晴らしいのひとこと。

吉都線の見える風景

さて、小林駅にも当時から観光協会があった。その駅舎は昨年リニューアルされ、新駅舎は2階建てになっており、テラスからの霧島山の眺望は、みごとである。勉強や仕事ができるスペースやお弁当を食べたり、コンサートができる広間などがあり、機能面でも充実しており、小林のDMOも入っている。

列車は西小林を抜けると、まっすぐな線路をコトコトとえびの市に入っていく。小さな無人の駅舎が続き、温泉で有名な京町温泉を経て、吉松駅に到着。駅舎の横にはSL会館があった。SLや資料などの展示のほか買物と軽食ができ、ゆっくりとコーヒーを飲んだのを覚えている。当時、館長であった仮山君は、今、弊社で働いている。

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長