この人その6「松田省吾さん」木城「新しき村」に暮らす「よく生きる」を実践する仙人であり、魂の人。この人その6「松田省吾さん」

西米良村の村所地区には那須春月堂という手づくりにこだわったゆず菓子の店があり、那須畩之さんが創る姿ようかんや最中の美味しさは、格別である。最近、この店を娘さんが引き継ぎ、改築された。大きく掲げられた看板の文字、店内に入ると、品書きが木片に達筆な筆字で認められている。この書を施した人こそ、私が尊敬してやまない、木城「新しき村」に暮らす「よく生きる」を実践する仙人であり、魂の人、松田省吾さんである。

「日向新しき村」宮崎県木城町
写真「埼玉新しき村公会堂前」昭和46年撮影

木城町を東西に貫けて流れる小丸川の谷あいが一瞬にして開ける集落・石河内(いしかわち)があり、川の右岸の一角に、樹木に囲まれた静かなる別天地「新しき村」が佇んでいる。大正7年、白樺派の文学者として名高い武者小路実篤(当時33歳)が、「自己をより正しく生かすことが、他人も全体よりも『よく生きる』ことになる」という新しい理想を提唱し、共鳴参集した多くの青年たちと共に、自己を耕そうと築いた実践地であった。新しい生き方と憧れを詰め込んで創られた「新しき村」に暮らしたのは、農業知らずながらも理想に燃えた若き青年男女たち、その数、延べ300人もいたという。

松田省吾さんは北海道函館に生まれ16歳、すでに肉親を失い、自分で生きるしかないため、家出。東京でよく働き、学び、卒業。26歳、埼玉県の新しき村へ入村。33歳で発祥の地「日向新しき村」へ移住。有機農業を実践して47年。彼が養う放牧豚の味わいは、最高である。入村して今年で49年、来年で半世紀になる。

無垢の木の板にしたためられた「書」

今も「この道を歩く」松田省吾さんは、いつの頃から墨を摺り、書を遊ぶようになったと語る。無垢の木の板に詩が生まれ、句が現れる。春夏秋冬、自らを耕し続ける。本来の人間は、実に美しいのだ。感動と勇気は、彼の筆で人々の心のひだに刻みこまれていく。即興で生まれた言葉は、天啓であり、はるか昔から運ばれたメッセージである。

弊社の西米良オフィス「みちくさギャラリーMOMO」の内外に、彼の書があり、西米良温泉ゆた~との入口にある看板も弊社開設記念に寄贈してくださった。「西米良ツーリズム協会」に村外会員第一号として活動していただいている。また、「道の駅つの」の看板文字も彼のものであり、4月14日にグランオープンした黒木農園の新店舗「にんぎり飯屋」は、店舗改修まで松田省吾氏が手がけておられ、いつの間にか設計から大工、左官まで、自らで実践しておられる。彼の生き方は、あくまで素朴で力強く、いかにも楽しげである。

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長