新春のお慶びを申し上げます

青い空に白い雲。冬の南九州は明るく、過ごしやすい。出会えて良かった。本当に私は運がいいと、感謝する。

北きりしま

平成30年。思えば、あれから19年。一生背負わなければならないと医師に宣言された酸素ボンベを抱えながら鹿児島空港に降り立ってから奇跡の年月が流れ、南九州で、とうとう18回目のお正月を迎えることができたことに心から感謝している。また、本社を宮崎県の桃源郷・西米良村に遷させていただいてから3年目に入る。南北朝時代に南朝方の急先鋒であった菊池一族が帝をお連れし、米良山中に落ち延びてきたことを、つい最近の話のように語る村人たちを愛したゆえの本社移転であったが、未だ何もお返しができていないまま新しい歳を迎えたという感が強い。

菊池市のコッコファーム「たまご庵」内のインキュベーション・ルームをお借りしてオフィスにしており、菊池と米良(西都市東米良地区も含んで)を繋ぎたいという気持ちばかり逸りながら、昨年は旅行事業を開始した。株式会社アイロード・プラスという第二種の旅行事業企画を行う会社を関連会社とし、アイロードでも企画旅行を販売していく予定である。

「みちくさ新年号」では、開拓中の小さな旅の募集を誌面全体に散りばめているので、ぜひご参加いただければ、これまでの旅とは一味異なるプライスレスな価値ある旅に読者の皆様をお誘いしたいと、願っている。

どうか一緒に旅に出てみませんか!?

明治維新150周年記念「西郷どん みちくさ探訪記」序章

「みちくさ1月号」では「明治維新150周年」を記念し、さまざまな形で、それぞれの地域ページで、菊池一族の末裔でもある西郷隆盛を語るコーナーを展開している。

もともと西郷隆盛は農本主義の人であった。明治8年に農業こそが日本の基であるとして「農業を通じて第一級の人となる」という教育方針の基、私学校「吉野開墾社」を創設し、若い人たちの教育に当たった。片や大久保利通らは、版籍奉還等がひとまずの成功をみたとたん、岩倉具視使節団として計100名もの人数で、それも1年半もの間、欧米諸国を周遊し、見聞を広める。居残り組は西郷隆盛に板垣退助、井上肇、大隈重信らであった。

大久保たちはフロックコートにシルクハットで、西欧諸国を視察する。そして戻るや否や、西郷たちから留守中の報告を聞くこともせずに、まずは欧米に追いつくよう文明開化と殖産産業を急ぐ改革に着手した。

文明開化によって、本当に日本人は幸せになるのだろうか?日本に元々あった文化よりも、本当に西洋文明の方が優れているのか?たとえば明治半ば、夏目漱石は産業革命下のロンドンに留学し、極めて憂鬱になったと、小説に書かれていた。西郷が唱えた征韓論にも多くの誤解があったと思える。西郷が目指したのはアジア諸国との国交であり、決して征服することではなかった。日本が手を組む相手は、アヘン戦争を起こしたり奴隷制度がある欧米諸国なのか。それとも韓国など近隣アジア諸国なのか。斉彬の考えたアジア中心的な考え方を西郷はとっていた。

現在、私たちは何をもって真の幸せを感じることができるのか?それは物質文明なのか?貨幣優位性なのか。それとも西郷が愛したような質素だが堅実で優しい暮らし、大自然の中で土を耕しながら感じる幸せではなかったのか。

今、世界は食糧難に向かっている。日本では、確実に人口が減少しているが、地球という枠組みでは未だに人口は増え、食糧が足りなくなる可能性も高い。今年も例年以上に、自然と共生して育んできた日本型の農林水産業を今一度、評価し、価値を高め、先人たちから学んできたことを次世代に残していく一助となれるよう頑張りたいものである。

皆様、どうか今年もよろしくお願いいたします。
「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長