この日を迎えるにあたり、戦跡取材等もしたが、何よりもその当時を知る方々、必死に生き抜いた方々やそのご家族との語らいが、多くのことを今年も教えてくれた。九州管内に多く横たわる戦跡に光を当てるということは、その時代を生きてきた人の思いを後世に伝えていくことである。知らせないことが平和教育ではない。現代、心のやすらぎのみを求めた言葉のみの皮相な平和教育ばかりが目立っているような気がしてならない。
事なかれ主義の今日。なぜ人は生きるのか?という根本的な命題を真っ向から見つめることなく、子どもたちは育ち、自分たちが実際に見ることができる周辺の環境のみが「世界や時代のすべて」であると信じ、日本という小さな世界で私たちは生きようとしているような気がする。
子どもたちは「みんな○○を買ってもらっているんだよ」「みんな○○に行くんだよ」と親に迫り、親も買い与え、甘やかす。働き方改革も同じ。どの職業の人も同じ時間で同じ条件で働けるわけではない。さまざまな生き方があり、さまざまな時代や場所、役割によって生き方は異なってくる。自分の世界と異なる世界があるという現状を知ることもなく、小さな世界の常識を押し付けていく官僚政治から脱却しないといけない。
子どもの頃にどれだけ多くのことを経験するかが大切で、勉強や部活動のみに生きる人を育ててはならない。農林漁業にAIやICTを持ち込んで生き続けることは、ある程度はできるかもしれない。ただ自然から学び、自らの勘を養い、地に足をつけ、人生について学んでいく生き方、人のあり方は、人間本来の生き方であることを忘れてはならない。
終戦記念日に想う。自分たちの価値観や職業観が世界のすべてとなってしまうような狭い考え方や、いわゆる巷でいう「平和ぼけ」という、ものを考えず流されていく方が幸せだという日本の現代病のような有り様どちらにも、警笛を鳴らしていきたい。人は何のために生きるのか、しっかりと世界を見、自らの生きる意味をみつめなおしてほしい。
えびの市の国際交流を専門とされている、ある議員の方が、おっしゃった。「私たち誰もが、決めることはできない。誰から生まれ、どの国、どの地域に生まれ落ち、また、どの時代に生まれるのかを。」ある人は、悲惨な戦争の真っ只中の時代に生まれ、また、ある人は、内戦で互いに殺生し合うような地域に生まれてきてしまった。それでも人はその時代を、或いはその場所で、必死に明るく、感謝することで幸せに生きようとする。いただいた魂を自分なりに磨き上げ、輝かせていくのである。宇宙の中で、人間は、そのような精神的な存在であると、信じたい。
青春時代を時代の横暴さや暴力に翻弄されながらも、心まっすぐに生き抜き、積極的に戦争の悲惨さ、平和の大切さを語る語り部たち。あるいは自ら手を染めてしまったことに、いや自分だけが生き残って幸せであることに耐えられない思いを心に秘め、無口に黙々と生きてきた人たちや、その遺族の方々が、当時の、あるいは今日まで続く重く苦しい体験を語ってくださるようになった。
戦後73年を迎え、私たちはもっと多くの方々のお話を聴くことで、自分がどう生きていくべきなのか、どのような時代を作るべきなのかを、自分のものとして考え、行動していかねばならない。
- 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
- 地域交流誌「みちくさ」編集長