自然に寄り添って生きる。

「自然と人との共生」という言葉。

「自然と人との共生」という言葉を何気に耳にしてきたし、時に私自身も使ってきてしまったかもしれないが、よく考えれば、これは大きな間違いである。「共生」とは「共に生かされる」関係。人間は自然によって生かされてはいるが、自然は、人がいなくても存在する。ゆえに自然と人は「共生」しているわけではなく、人は自然によって生かされている関係。

「人と自然が共生する」という言葉を人はいとも簡単に使いたがるが、これは人間の傲慢そのものである。自然と人は、決して同等のものではなく、人は常に自然の一部にしかすぎない。では、どう表現したらよいのか?

「地球上のたくさんの動植物たちと人間は共生している」

この表現ならば、大丈夫ではなかろうか。正しい言葉使いである。地球や宇宙という自然の中で、人間も動植物も共に生きている。共に補完しあったり、寄生しあったりして、共生する存在である。人間の腸内にも微生物や菌がいて共生している。

熊本県阿蘇市一の宮

人がいない地球が良いのか?!

アメリカに住んでいるときに、自然と人間の関係について議論をしたことがあるが、極端なことをいう人がいた。この地球上に人間がいない方が自然や地球はサステイナブルでよいのだと。もしそれが本当だとすれば、寂しくなる。本当に人間はこの地球上にいらない無用な存在なのだろうか?当時、とても落ち込んだのを覚えている。

それから数年後、アメリカでの医療事故を経て、療養のために南九州に住むことになった私は、明確な答えを得た。「人がいない方が良いのではない!人間は謙虚に自然に寄り添い生きてきた存在で、自然への畏怖と感謝の念を常に感じながら、自然に生かされてきた自然の一部なのだ! 」

縄文時代から山や海の恵みをいただき、里山を育ててきた。農を営み、自然からの恵みを安定した形で得るために集落(コミュニティ)を形成し、自然に寄り添いながら生きてきた。人が暮らしていく中で、共に暮らす動植物もまた新たな進化の過程を踏みながら生きてきた。たとえば田畑がなくなると、田の中で生きてきた動植物もまた生きていけなくなる。地球上の動植物の多様性は、人が共生することによって地域個有のものとして保たれてきたのだ。

日本の国立公園の魅力。

アメリカの国立公園を体験すると、人間の手が入らない方がよいという人がいても、一見、正しいような気がしてしまう。人の暮らし風景が見えないデスバレーやグランドキャニオンなど、砂漠では人の手が入らない状況でも、ほぼ今の景観を保ちながら存在できるだろう。

阿蘇パノラマライン(熊本県阿蘇市)

しかし、南九州に来て、その考えは変わった。人が暮らさせていただくことで、環境が保たれていることがあり、美しい景観を作っている。日本の国立公園は、阿蘇くじゅうにしても霧島錦江湾にしても雲仙天草にしても、常に人間もまた、動植物たちと一緒に自然の一部になりながら共存してきたのである。大いなる自然に寄り添い暮らしていく中で、多様な生物の環境が保たれている。

たとえば阿蘇くじゅうでは野焼きがあって、今の景観が保たれ、野焼きで生まれくる植物があり、それと共生する昆虫や牛たちなど、動物がいて、人もまた暮らす。霧島や屋久島の自然を奥山として守りながら暮らす人々がいて、その水の恵みで里山や田畑が潤い、火山と共に人は生きている。何十という水系の湧水の恵みのなか、人も動植物も生きてきた。人が暮らすことで他の生物も共に生きてきた。人の手が入らない山々はうっそうとし、また、異なる環境になっていったであろう。

人が生きることで共生して生きる多様な動植物もあり、その絶妙なバランスの中で、先人たちは生きてきた、長い人の歴史がある。人は共生する他の動植物と共に生きながら、自然の恩恵に感謝し、火山や地震、竜巻、雨や風など、自然に畏怖の念を感じながら、「足るを知る」暮らしを続けてきたのである。

焼畑風景(椎葉村)

椎葉や西米良で行われてきた焼畑の祈りの詞の中にも虫を労わる言葉があり、山の神に感謝する風習もある。山の中に実のなる木があれば、見つけた人はその一部をいただく。決して自分が食べるより多くは採らない。つまり売るほど多くは採ってはならないという山の掟があった。山の神に感謝しながら一部をいただく。残りの一部は、次に訪れる人たちのために、そして残りの多くは、山に棲む小動物や鳥たちのために。

彼らを介して山に植物は子孫を作っていく。これこそサステイナブルな関係であり、戦後、日本の都会に住む私たちが忘れてしまったもの。真の暮らしが残る九州や四国などの奥ニッポンでは、今でも残る風習。もう一度、先人たちの暮らしに学びながら、生きるということはどういうことなのかを再度、確認しながら、人生という旅を続けていきたいものである。

今回は、大分県と宮崎県の間に深い渓谷を織り成す祖母・傾山系の豊かな自然、阿蘇くじゅう国立公園や霧島・錦江湾国立公園、入り組んだ蒲江浦や津久見など豊後水道の暮らしなどを特集している。

天空の茶畑(延岡市下地地区)

「みちくさ」を主宰している当社の関連会社(株)アイロード・プラスが運営しているのが、「道の駅えびの」にできた、霧島の自然と暮らしの魅力を発信する「アウトドアステーションえびの」。8月10日(金)~11日(山の日)に、えびの高原荘と共同でナイトサファリのアウトドアディナーイベントを行う予定。

夏は夜である。「枕草子」で清少納言が語るように「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬は朝」だとすれば、夏はやはり、暗闇の中で豊かな感性(五感、六感)を研ぎ澄ませながら、木々のざわめき、闇にきらめく炎、炭の香。子や孫、夫婦や友人と、忘れぬ夏の思い出を作ってほしい。

「福永栄子」署名
  • 愛で人と人、地域と地域を結ぶ(株)アイロード代表
  • 地域交流誌「みちくさ」編集長